21世紀のヒューマニズムV.3 世界大戦を招いた自由!
未完です テスト
中世での人間主義ルネサンスの勃興
封建社会から近代社会へ
市民社会のヒューマニズム 自由、平等、友愛
21世紀のヒューマニズムV.3
原理 自由・愛・公平
理念 人権・平等・平和
人と人は愛しあう
人の孤独を充足し、生命の躍動と継続です
封建社会が打倒されたとはいえ、封建社会の意識は温存されていました、アメリカの独立宣言、フランスの人権宣言が国家統治の理念として
自由、民主主義、法の支配
が確立しました。しかし、自由が謳歌され、国家のスローガンとして人権はないがしろに帝国主義が20世紀の戦争の時代を招きました。第二次世界大戦は死者だけで7千万人以上が亡くなりました。戦後、新たな国連が結成され、世界人権宣言が発せられましたが、十分な成果が上がらず、2015年SDGsが採択されました。
サルトルは当時の絶対的な価値観の喪失(キリスト教文化)の中、規範は無い反体制として、人間は行動の自由と責任を負う。妻のシモーヌ・ド・ボーヴォワールは「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と成長の中で刷り込まれる文化的な女性の差別を問いました。ジェンダー平等はフリーセックスと短絡的な非難の中でもジェンダーフリーとして進展しています。
性は世代の秩序、文化の継承に必須の要因でした、永らくオス社会では秩序を守るオスが次世代の継承者であり、女性からの無視がなくなります。人間以外ではチンパンジーはオスの競争社会、ボノボはメス中心の平和社会です
人権がなぜ蔑ろにされるのか?社会的な環境の中での人権教育、成長の過程で他人を愛することが十分に訓練されない。わがままな自由と愛が鍛錬され公平な関係が築けないと考えます。今日の現況は恋愛と性の分断、そして身体の成長よりも長く受験競争や職業訓練で成人になる期間の延長が性を抑圧しています。これは昔からの大問題で男の僧侶が自分が苦しむのは女性のせいにする女性蔑視やいまいましさからの蛮行がありました。
或いは男色もあり、信長の延暦寺の焼き討ち、性の克己が僧侶の信望である言行不一致の業でした。近年も天台宗の四国の僧侶による尼僧の訴えが宗門では性暴力と認定されずに罷免、関係した大僧上は不問となりました。いわんや庶民では
キリスト教文化でも同様です。公と私は別問題であり、性は私の問題としていかがわしい事柄としてなかなかオープンになりません。日本では明治時代になり西欧文化の導入で厳しくなりましたが、男尊女卑は別として男女混浴、夜這い等おおらかな江戸文化がありました。
人と人は愛しあう 人同士が引かれ合う恋愛は社会性のある人間性の発露であり、公として社会的空間でプライベートな性のオーラを感じ合うのはかなり特殊です
ビートルズの1963年 I Want To Hold Your Hand
邦題は 抱きしめたい になっていますが
ウブな男女では会いたい、話題を探すのに必死さが恋愛と性が分断の実情、或いは女性は付き合えばHが義務感とする、或いは自分には危険性が及ばないタレントを好きになる?
天に唾するは誰 2、愛 ヒューマニズムVerⅢ.
愛について
古来、愛とは対象を慈しみ、かけがえのないよのとして大切に思う精神的な情動、仏教での慈愛、儒教での仁など、キリスト教文化では感情では無く、他者の最善を願う「意志」「自己犠牲」が神の愛とされています。
しかしながら、愛は自己犠牲ではありません。愛は自己の拡大です。自分の自由意志による意志表示であり、行動です。自由と愛に生きる事は人生最大の幸福です。人を愛するが故に、相手を苦しめない。世の中には愛するに値する多くの人がいます、己が愛を望む相手が見つかれば相思相愛になります。
イスラエル、ロシア、米国の権力者は戦前の帝国主義の君主たる蛮勇を行なっています
人道に対する罪「crime against humanity」は帝国主義と同等の犯罪としてUniversal Standard
です。戦後、東西対立、覇権としての代理戦争が有りましたが、ステージが一変しました。
日本では 儲けて何が悪い という投資家の犬笛とと伴に、大阪で維新が新自由主義を旗印に跋扈していますが、世界的にも保守主義が台頭しています。自分らの利益を獲得することに汲々としています。
フランス革命よりの自由!の権化です。普遍的な平等、友愛博愛などからの法の制約を凌駕して自由を謳歌しています。戦後、日本でも時の人となった実存主義のサルトルは第二次世界大戦の惨禍・価値観の喪失の中で「(神や)普遍的な規範が無いならば、人は自由に生きる存在」としました。西洋ではキリスト教の刷り込と無神論としての対峙がサルトルでも有りました。私は宗教が刷り込まれて成熟した人とは論争はしません。釈迦と同じ立場ですが、人間の特徴である幼形成熟(ネオテニー)の柔軟な思考ができる人とは議論します。
愛は雌雄異体と哺乳類を根源とする情愛です。恋愛は性の昌華と言えます。動物としての欲情・勃起ではありません。無論、現在では生殖以外に人と交歓するボディーランゲージとしての性もあります。
恋愛は人間の全存在の欠落を埋める究極の相手の選別です・理性を含めた全人格の激情として、友人・仲間・掛け替えの無い恋しい人の選択です。しかし、相手が有ってのことであり、競争相手もいます。失恋は時・場所・巡合があってのことで必然です。多くの失恋、恋?を重ねると一人一人に注目すれば総ての人は愛おしくなります。
今や結婚が2人の共同生活の場となり、婚前に互いの相性を知っての結婚が普通になりました。夫婦円満の秘訣は性生活の一致です。愛されるから愛するでは長年の経年変化に対応できません。戦後生まれの人間ですが、生殖の性、否 互いの性欲を認める生活と未だに恋と性の分断、性教育の未熟さに憤りがあります。成年が法的には18才とはなりましたが、封建時代と違って経済的に成年となる年齢と性力盛んな年令との乖離は如何ともしがたい苦悩があります。若い内に経験を積み結婚すべきです。未婚芸能人の悪行が多々話題になりましたが、長年に渡る飢餓は性癖を歪めます。完ぺきを求めれば生涯結ばれるチャンスは無いかも知れません。6割で合格です、日々生活しなければなりません。
人間の三大欲求として睡眠、食慾、性欲と言われますが、毎晩寝て、毎日三度の食事、性欲だけは毎日の、週何度のHとは言われません。未だに性を抑圧しようとする文化が残存します。
人は一人一人に注目すれば、愛すべき存在と言いました、これこそがヒューマニズムに愛を加える理由です。性愛を考えても人類の半分は愛せる存在です。同性はライバルであり共に異性を育む存在です。愛は偏狭・自信のなさから生じる束縛や嫉妬ではありません、相手の歓喜を我が喜びとする度量こそが公平な愛です。
ヒューマニズムVer.Ⅲ 自由・愛・公平
自由は公平の下で愛を贖い
愛は公平の下で自由を贖う
Humanism v3.0
Viva Liberty.Freedom & Love & Justice
Viva Human Rights & Equality & Peace
天にツバするは誰 1、愛を忘れたヒューマニズム(人道主義)の確立 序
ヒューマニズムはフランス革命で 自由 平等 友愛 をスローガンとされました。
封建社会での人間性抑圧から近代、近代、現代に至る人間性抑圧から解放への道は人権の確立・自由の確立であった。思想信条・国家地域の違いを超えて「愛の欠落」が人々の不安恐怖をかき立て、偏狭なる人間性に陥らせています。現代でも個人の自由による利己心の拡充が人生の成功と考える競争優劣・格差是認が世界を支配しています。新自由主義の台頭です。
ヒューマニズムのバージョンアップ3.0
今日のヒューマニズムの欠陥は過去の人間抑圧からの解放が注視され、自由や人権が強調されています。人間の幸福は人との人との係わりの中に有ることが軽視され、思想的に確立されていません。人は人との中で幸福を見いだす社会的人間です。そして個人的には、人の精神分析の始祖・ジークムント・フロイドがエス、リピドーの性が抑圧されてきた歴史があります。
宗教や統治の秩序・文化としての抑圧です。戦後の変革の中で性の解放やジェンダー平等など古い価値観・秩序との軋轢や個人主義の孤立が日本でも深まっています。雌雄生殖によって進化して来た生物として、愛の確認と認識こそが自我の確立になります。
ヒューマニズムの中に、愛を確立させましょう。
ヒューマニズムは21世紀の今日ではユニバーサル・ヒューマニティとして普遍的な人間として文化や国境を越えた人間に共通する価値観・権利・尊厳を認め、非人間的な格差・束縛や抑圧から人間の解放を目指す思想です。
原理:自由・愛・公平
原則:人権・平等・平和
として推進します。
ヒューマニズムは紀元前より古代アテネや中国(天道と人道)の時代から、或いは16世紀よりのキリスト文化からの人間解放であるルネッサンス(人間中心主義)や18、19世紀の ヒューマニズム(人文主義)があり、アメリカ独立宣言も自由・平等・幸福追求、フランス人権宣言では自由・平等・友愛。戦後の国連での世界人権宣言によって人権の規定があります。
様々な問題があった関西大阪万博EXPO2025が終わりました、しかしながら万博のテーマである「いのち輝く未来社会」SDGsの先の未来社会の実験場を謳いました。
SDGsは2030年をゴールとする国連で採択された持続可能な社会の実現に向けた17の達成目標を掲げています。人権・経済・社会・地球環境などの様々な課題ですがありますが、集約すればヒューマニズムの実現です 日本ユニセフ参照https://www.unicef.or.jp/kodomo/sdgs/17goals/
続く
人道主義 自由 愛 公平 の原理
歩行のバイオメカニクスは骨盤を軸にした体幹の重心移動
言葉だけでは説明がややこしくすいません。
歩行のバイオメカニクスは倒立振子理論に縛られれ、速歩や競歩、走るモデルと一致しません。最大の欠点は倒立振子で前足を重心より前に出して着地するモデルです。倒立振子では後ろ足と前足の中間にあるべきだから?でもなさそうです。多分、足を前に出す言葉に囚われています。
体幹が前に移動する位置エネルギーが速度に変化し、片足立ちの時には位置エネルギーが回復して移動エネルギーはゼロになりますが、連続歩行の省エネモデルとされています。
重力の加速度によりスピードが最大に成るのは足が着地する直前です、カカトが着地した瞬間より減速し、足が直立した時点ではスピードはゼロになり、次に着地した足を支点にゆっくりと重力によって骨盤が加速していきます。これはモーション解析と矛盾します。骨盤の移動スピードは目に見える変化は有りません。それを回復するエネルギーは後ろ足の体幹を前に押す力です。
単純に、歩行は骨盤を軸とした体幹の重心移動であり、着地は重心の下とすべきです。歩行で前身する重要な力は後ろ足前部での押し出しであり、速歩ではアキレス腱が伸ばされた時のふくらはぎ(下腿三頭筋)の伸張反射が推進力になります。
静止状態での立位では両足のくるぶしの間で立つのが足部や脚部の筋肉を使わない中立位ですが、重心を前に移動させ、足の指を越え、倒れないために右足を前に出す時には右足だけで無く左足も伸張反射によって直立しようと動きます。
歩行での伸張反射と倒立振子理論との矛盾や移動中の骨盤立位はどうあるべきか?骨盤の左右の動き、体幹を使った歩行の充実には腕をどう振るべきか?など多関節の運動エネルギー移転のスイング力学も生体力学には重要です。
理学療法やスポーツTRに弊害を与えているのではと考えます。
重心の下で足が着地するとすれば、早足、競歩、走りで矛盾なくなります。スピードを減速させる要因も無くなり、歩行でも重心より前に出左右前方へのブレーキの抵抗が加わり膝への衝撃は大きくなります。
但し、高齢者の階段の下りでは、できるだけ前足が着地してからの重心移動の方が膝への衝撃は少なくなります。後ろ足で膝を屈伸して踏ん張る力が必要です。片側の膝が痛くなれば、痛くない足の負担が増大します。手摺や杖を利用すべきです。
追記
無理は禁物、歩行は骨盤を立てて歩くことが重要です。骨盤が前傾や後傾すれば若いころの歩行が股関節の機能として出来なくなります。
健康な内に仰向けに寝ながらできるビップアップでお尻、両膝を屈伸させてお腹に近づける大腰筋の筋力アップ。うつ伏せで足と頭を反らす背筋。座位では腰椎を固定して股関節から前後に動かす(ボート漕ぎ)で腰椎を保護する大腰筋と腰方形筋や背筋、腕を動かして肋骨・脊椎や肩甲骨のストレッチ、立位ではつま先立ち、四股すわり、左右へ体重移動する開脚屈伸があります。
プロでは無いのでよく知らなかったですが、腰椎を固めて股関節での前屈は腰痛の心配無く前屈が可能です。敵は膝裏のブルブルですが大腰筋を含め徐々には伸びているのでしょう。後は片足立ち30秒1分への挑戦です。
有酸素運動も大切ですが、筋力はMax7割りで筋力アップが時短で可能な様です。
歩行のバイオメカニクス 大いなる疑問
山本敬三様 疑問があります
はじめまして、歩きはじめのバイオメカニクス他をYouTubeで勉強させて頂きました。歩行の生体力学と言う言葉を初めて知りました。ありがとうございます。
コメント欄が無かったのでここで質問させて頂く失礼をお許しください。
私はグランドゴルフで多くの歩き方のおかしい人を見ました、母の介護で5年ほど離れましたが、10年近く考察してきました。その当時もプログgooにアップした。最近 前屈の動画を見て伸張反射の働きを知り、いっきに歩行の知見が深まり、美しい歩行云々をアップました。
私は歩行の一歩目は前足上げではなく、重心の前方移動と後ろ足の後方への押し出しと伸張反射による後ろ足の屈曲伸展と考えています。
・前足は重心の下でカカトから着地し、移動速度に伴い地面からの反力COPはカカトから足部前方に移動し、拇趾球小趾球などや足の指にCOPがかかる時はカカトが浮き、脚の裏が伸び、伸張反射によって膝の屈曲と太ももが前方へ押し出される。そぞろ歩きの状態ですが、速歩への移行は体幹を使った腕の後ろへの振り、後ろ足の着地後の後ろへの押し出しが重要であると考えます。生体力学と矛盾しますか?
・何故、生体力学では重心より前での着地を前提としているのですか?根拠が力学として不合理です。
・立ち姿勢で一番に脚や足が筋肉を使わない楽な姿勢でのCOPの位置は両くるぶしの間ではないですか? 無論、スポーツの種類によって変化があるでしょうが、運動する時の待機姿勢では足の指で地面を押さえ、両足全面中央部分が中心が妥当かなと
・つまずいた時や直立した姿勢から重心が前方に移動して足の指より前方に移動しようとした時、反射運動は前足と後ろ足ではどちらが強く力を発動しますか?前足の引き上げが動作としては目立ちますが、体幹を前方に押し出す力は後ろ足の方が強いのではないかと考えます。
歩行のバイオメカニクスや理学療法学にとっても重要と考えます。閲覧可能な文献の紹介かYouTubeにアップ頂ければ幸いです。