天に唾するは誰 2、愛 ヒューマニズムVerⅢ.
愛について
古来、愛とは対象を慈しみ、かけがえのないよのとして大切に思う精神的な情動、仏教での慈愛、儒教での仁など、キリスト教文化では感情では無く、他者の最善を願う「意志」「自己犠牲」が神の愛とされています。
しかしながら、愛は自己犠牲ではありません。愛は自己の拡大です。自分の自由意志による意志表示であり、行動です。自由と愛に生きる事は人生最大の幸福です。人を愛するが故に、相手を苦しめない。世の中には愛するに値する多くの人がいます、己が愛を望む相手が見つかれば相思相愛になります。
イスラエル、ロシア、米国の権力者は戦前の帝国主義の君主たる蛮勇を行なっています
人道に対する罪「crime against humanity」は帝国主義と同等の犯罪としてUniversal Standard
です。戦後、東西対立、覇権としての代理戦争が有りましたが、ステージが一変しました。
日本では 儲けて何が悪い という投資家の犬笛とと伴に、大阪で維新が新自由主義を旗印に跋扈していますが、世界的にも保守主義が台頭しています。自分らの利益を獲得することに汲々としています。
フランス革命よりの自由!の権化です。普遍的な平等、友愛博愛などからの法の制約を凌駕して自由を謳歌しています。戦後、日本でも時の人となった実存主義のサルトルは第二次世界大戦の惨禍・価値観の喪失の中で「(神や)普遍的な規範が無いならば、人は自由に生きる存在」としました。西洋ではキリスト教の刷り込と無神論としての対峙がサルトルでも有りました。私は宗教が刷り込まれて成熟した人とは論争はしません。釈迦と同じ立場ですが、人間の特徴である幼形成熟(ネオテニー)の柔軟な思考ができる人とは議論します。
愛は雌雄異体と哺乳類を根源とする情愛です。恋愛は性の昌華と言えます。動物としての欲情・勃起ではありません。無論、現在では生殖以外に人と交歓するボディーランゲージとしての性もあります。
恋愛は人間の全存在の欠落を埋める究極の相手の選別です・理性を含めた全人格の激情として、友人・仲間・掛け替えの無い恋しい人の選択です。しかし、相手が有ってのことであり、競争相手もいます。失恋は時・場所・巡合があってのことで必然です。多くの失恋、恋?を重ねると一人一人に注目すれば総ての人は愛おしくなります。
今や結婚が2人の共同生活の場となり、婚前に互いの相性を知っての結婚が普通になりました。夫婦円満の秘訣は性生活の一致です。愛されるから愛するでは長年の経年変化に対応できません。戦後生まれの人間ですが、生殖の性、否 互いの性欲を認める生活と未だに恋と性の分断、性教育の未熟さに憤りがあります。成年が法的には18才とはなりましたが、封建時代と違って経済的に成年となる年齢と性力盛んな年令との乖離は如何ともしがたい苦悩があります。若い内に経験を積み結婚すべきです。未婚芸能人の悪行が多々話題になりましたが、長年に渡る飢餓は性癖を歪めます。完ぺきを求めれば生涯結ばれるチャンスは無いかも知れません。6割で合格です、日々生活しなければなりません。
人間の三大欲求として睡眠、食慾、性欲と言われますが、毎晩寝て、毎日三度の食事、性欲だけは毎日の、週何度のHとは言われません。未だに性を抑圧しようとする文化が残存します。
人は一人一人に注目すれば、愛すべき存在と言いました、これこそがヒューマニズムに愛を加える理由です。性愛を考えても人類の半分は愛せる存在です。同性はライバルであり共に異性を育む存在です。愛は偏狭・自信のなさから生じる束縛や嫉妬ではありません、相手の歓喜を我が喜びとする度量こそが公平な愛です。
ヒューマニズムVer.Ⅲ 自由・愛・公平
自由は公平の下で愛を贖い
愛は公平の下で自由を贖う
Humanism v3.0
Viva Liberty.Freedom & Love & Justice
Viva Human Rights & Equality & Peace